Our story
私たちの歩み

なぜ富士山麓で甲州を?
日本ワインがブームになる以前の2003年頃、
日本の甲州ぶどうは、栽培数が減り、日本のワインも明るい未来がなかなか描けませんでした。
富士山ワイナリーの創業者アーネスト・シンガーは、
当時白ワイン醸造の研究で第一人者であった
ボルドー大学醸造学部の教授ドゥニ・デュブルデュー氏を訪れました。
教授のアドバイスで、甲州種のDNA鑑定を依頼し、Vitis vinifera種由来であることが判明。
さらに、教授をコンサルタントに迎え、世界の醸造基準に即してつくった
『甲州・キュヴェ・ドゥニ・デュブルデュー 2004』は、
アメリカの著名なワイン評論家ロバート・パーカー氏に高い評価を得ました。
アメリカにも輸出され、NHKのドキュメンタリー番組にも取り上げられ、
甲州ワインが一躍注目を浴びるきっかけとなりました。
さらにシンガーは、日本食ブームが広がりつつあったEUへの輸出にも挑戦します。当時、日本のワインをEUに輸出することはできませんでした。ワインの国際的審査機関であるOIV(国際ブドウ・ワイン機構)の基準に、日本のワインが合致しているかを検査するラボがなかったためです。あらゆる関係機関に働きかけをした結果、独立法人酒類研究所がEUの農業委員会が認めるラボに認定され、EUへの輸出の道が開けました。
そして2007年12月、甲州種からつくった『Shizen Cuvée Denis Dubourdieu 2006(シゼン キュヴェ・ドゥニ・デュブルデュー)』が、EU輸出認定第1号となり、2008年1月イギリスに輸出されました。
World-class wine
「世界に通じるワイン」への道
甲州種で「世界基準のワインをつくること」、それが日本のワイン産業の発展につながると確信しました。
しかし、当時の多くの生産者は、ぶどう農家がつくる生食用ぶどうの残りで、あまり品質を期待できないぶどうを醸造用として買い取るような状況でした。
それで考えたのは、欧州式に、「良いワインは良いぶどうから生まれる。ワインづくりの基本は、ぶどう栽培にある」ことです。つまり自社で100%ぶどうを栽培することでした。
そして、欧州の産地に見られるように、「良いぶどうは、美しい景色の場所から生まれる」という考えをもとに、畑に適した場所を日本中探しました。また、酸味がきちんとあるぶどうこそが理想。迫りくる温暖化の中で、標高が高いところ、つまり気温が下がるところを探していました。
その結果、行きついたのが、富士山麓の朝霧高原だったのです。
2006年から、甲州種の垣根での実験栽培を開始。その後2007年にシンガーは、朝霧高原の現在の富士山ワイナリーの南方(富士宮市根原宝山)に2ヘクタールの畑を作り5,300本と、近隣の土地に2,000本、さらに長野県上田と塩尻、山梨県の牧丘にも植樹し、その年甲州種を合計10,000本植樹しました。当時、甲州種はぶどう棚(棚式栽培)で栽培されており、欧州式の垣根での栽培への挑戦は、きわめて珍しいものでした。その中で、2009年に、牧丘の垣根栽培の甲州から、『VSP キュヴェ・ドゥニ・デュブルデュー』(現在の『ドメーヌ・シゼン・キュヴェ・ドゥニ・デュブルデュー』)が誕生しました。糖度が上がりにくいと言われる甲州種で、19.8度という高い糖度を記録。日本での甲州の垣根栽培の成功の先駆的な例となったのです。
デュブルデュー教授のアドバイスで、2013年には、甲州種でトラディショナル方式によるスパークリングワインの仕込みも開始しましたが、残念ながら、完成をみることなく、教授は亡くなりました。
その後、シャトー・ムートン・ロートシルトの元醸造長パトリック・レオン氏、そしてレオン氏亡き後、現在はシャンパーニュのブルーノ・パイヤール氏、イスラエルのゴラン・ハイツ・ワイナリーのヴィクター・ショーンフィールド氏をコンサルタントに迎えています。


Sustainable
「サステイナブル」の実現のために、人は一番大切
サステイナブルというと、自然を尊重することだけを考えがちですが、サステイナブルはすべて人から始まると、私たちは考えています。
ワインづくりでは、その場所の土壌や微気候など、しばしば「テロワール」が語られることがあります。しかし、そのテロワールに、何を植え、どう育てるかは、人が考えて決めることです。
自然を尊重するだけでなく、人がその自然と調和し、生きていくことが、サステイナブルです。
そして、人がその場所で生きていくためには、その事業を経済的に成立させ、次の世代に引き渡すことができなければなりません。
そのためには、高品質のワインをある程度の規模でつくり販売することで、ワイナリーが経済的に自立することが必要です。富士山ワイナリーはこれを実現している、日本では数少ないワイナリーの一つです。
Our future
甲州種の明るい未来のために
甲州種は、糖度が上がらないとよく言われます。それは、日本の甲州ぶどうが100%、リーフロールというウィルス病にり患しているためです。このウィルスのために、成長が遅れ、収穫までになかなか糖度があがりません。
甲州種を世界的なぶどうにするためには、このウィルスの問題を解決しなければりません。私たちは、研究機関と協力しながら、この問題に取り組んでいます。

